まだたべ

新井由木子【まだたべ】vol.029 我が家の大声ダイヤモンドの巻 | www.deliciousweb.jp

切り取っておきたい、我が家の日常。今日も家族の歴史は作られていきます。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。 わたし「なんで女は痛風にならないのかねえ!」 父「なるらしいよ、女も。閉経すると」 母「えっ? なになに? 女も痛風になるの?」  老父と老母の間にわたしが挟まってちゃぶ台を囲み、3人で食後のお茶をすすっていた時のこと。  わたしのセリフに『!』マークがついているのは、加齢によりだいぶ耳が遠くなった父と、少しだけ遠くなった母に聞こえるように、大きな声で話しているからです。  父の発した「閉経」という言葉がよく聞き取れなかったらしい母に内容を伝えるのは、この場でただ1人、全体の話の流れをつかめるわたしの役目です。 「ヘイケイ!」の後に「ビー! フォーティー、エイト!」と、母のほうを向いて大声で叫んだのは、少しでもその場を面白くするべく瞬時に考えた、わたしなりのサービスです(AKB48さんにかけています)。 「ヘイケイ!」が伝わった時点で合点が行き、少し頷いた母の顔が「ビー! フォーティー、エイト!」の部分で衝撃を受けたようにゆがみます。 「ヘイケイ! ビー! フォーティー、エイト!」  母は、同じくらいの声量で驚いたように繰り返し、天井を仰いで笑いました。  大音量でも声の方向が違うと聞き取りにくいようで、今度は父がキョトンとしています。 「あのね、ヘイケイ、ビー、フォーティー、エイト!」  わたしが再度叫ぶと父は静かに空気を漏らして笑い、 「ヘイケイ物語」  と、切り返してきました。丁度母が『平家物語』にハマって読んでいる最中なので、旬なギャグです。 「えっ? なになに?」  再び身を乗り出す母に 「あのね、ヘイケイ物語!」  と、身を寄せて叫びます。 「ヘイケイ物語!」  母も叫んで、ツボに入ったのか苦しげにお腹を押さえて笑います。なので今度は父に向かって 「あのね、面白いってよ!!」  と、つい、見てわかることまで大声で通訳してしまうのでした。  耳が遠くなるなんて、いい事なんか一つもないと思っていたけれど、この時はこんなちょっとしたギャグで3人が10分以上は笑っていられたので、かなりのお得感を感じました。

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新井由木子【まだたべ】vol.028 路上にて(かなしみのマグロ)の巻 | www.deliciousweb.jp

しくじったと自分で認めることで、きっと人は成長するんですね。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  路上にて。人々はいつもどこかへ向かう途中です。夢が達成される目的地こそが楽園だと思っていたけれど、実はそこへ至るまでの険しい山道や、凍えるアイスバーン、灼熱の獣道こそがかけがえのないものだったり。時には目的地が蜃気楼のように消え失せ、道の上に呆然と立ち尽くしたり。路上にはいつもドラマがあり、人々の汗と涙とおかしみが、足跡として残されているのです。  わたしの一番古い路上での思い出は、式根島に暮らしていた幼い頃のこと。  島の教員住宅に暮らす新井一家は、何かと隣のおばさんのお世話になっていました(まだたべvol.018参照)。  働く母に代わり、赤ちゃん時代は日中ずっと面倒を見てもらい、おばさんにトイレトレーニングをしてもらったのも覚えています。それから保育園・小学校時代と、例のテニスコート付きの家(まだたべvol.013参照)に引っ越すまで、放課後はいつもおばさんの家で過ごしていました。  隣といっても人口の少ない島のことですから、住宅から小さな丘を迂回して続く、細く白い一本道を10mほど行った先に、おばさんの家はありました。道が白いのは、式根島特有のガラス質の浜の砂が風で巻き上げられるのか、道の上一面に自然と敷き詰められているからです。  そして何か美味しいおかずができると、母は必ずおばさんの家に持っていくようにと、わたしか妹をおつかいに出すのでした。  その日、晩御飯におばさんの家に届けるように言付かったのは、マグロのお刺身でした。  式根島の夜は、外に出れば街灯など人工の光のない暗闇でしたが、月の光が白い砂の道をぼんやり浮き上がらせており、懐中電灯などなくても、いつも難なくおばさんの家まで走っていき、帰ってこられるのでした。  当時のわたしは、人は頑張れば飛べるのではないかとなぜか思っていたので、常に力一杯の跳躍で長いスキップのような走り方をしていました。普段でも充分楽しい跳躍でしたが、夜のおつかいとなると、なんだかスリリングで余計に心も躍ります。暗くて足元がよく見えないことなどおかまいなく、その日も胸にしっかりと皿を抱いて跳躍を続けるのでした。

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新井由木子【まだたべ】vol.027 旅するパッドの巻 | www.deliciousweb.jp

私も流れ星に祈ればよかった。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  soso cafeでおむすびばあさん(まだたべvol.010参照)を始めてから半年目のある日、わたしは初めての遅刻をしました。  布団の中でふと気がついた時には、もうsoso cafeにいなければならない時間だったのです。  しかしわたしは、それからきっちり15分後にsoso cafeにいました。いつもなら起床から到着まで、かかる時間は20分。5分を節約するためにわたしが省いたのは、ブラジャーの装着でした。  思春期を迎える頃、わたしはクラスの誰よりも発育が遅く、ブラデビューがなかなかできませんでした。当時は今より繊細な心を持っていましたから、思い悩み、胸が大きくなるよう、夜ごと流れ星に祈ったものでした。  当時暮らしていた離島の夜空は澄んで美しく、祈りを捧げていると、さほど待たずとも必ず流れ星が見られるのです。  寝室の障子を開けると、窓ガラスの向こうは真っ暗というより真っ黒な影になっている椿の原生林。その上には濃紺の夜空にグラニュー糖をまき散らしたような天の川がありました。  手を組み合わせて見上げていると、5分も待たずにすうっと一筋の線を引いて流れる星。消えるまでに心の中で叫ぶように願い事を唱えます。 「峰不二子ちゃんのようになれますように!」  毎晩3個の星が流れるまで待って、みっちり3回祈ってから眠っていたのでした。  そのような環境で捧げる祈りは流石に叶うもので、中学入学の時はあんなになかった胸も、卒業の頃には、それはそれは立派に育ったのでした。  今振り返ると大きな胸になって良かったことといえば、授乳の時に自在に方向が変えられ楽だったことがあり、悪かったことといえば重たいので非常に肩が凝ったことなどがありますが、とにもかくにもわたしはマイボインと一緒に仲良く人生を歩んで参りました。  しかし、歳月はボインの上にも確実に流れ、ある日気がつくとあれほど張り詰めてパンパンだったボインは、まるでビニール袋に水を入れたような感触の、重たく垂れ下がった様相に変わりました(もうボインとは呼べないので『胸』に表記を戻します)。

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新井由木子【まだたべ】vol.026 口をきく猫の巻 | www.deliciousweb.jp

家族を思う気持ちは皆同じ。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  猫が「ママ」と言えるようになりました。  わたしの家に住む2匹の猫の、若いほうの雌猫ナノの話です。最初は「ニャニャッ!」と、口角を鋭く上げて細かく鳴くだけでした。それが最近、口の中の空気を舌で丸く包むようにして、柔らかな「マ」を発音するようになったのです。いつでも短く2度続けて鳴く度に「ママ、って言ってるのね、偉いねえ」と褒めているつもりが、発音のお手本を示していたのかもしれません。  ナノは雉(きじ)猫ですが、全体にグレーが強くかかっていて縞がはっきりしない地味な色合い。灰色で丸々と太っていて手足も短いことから里芋とあだ名されるナノが、真面目な顔をして「ママ」と言うのは可愛いけれど、どこか妖怪じみてもいます。 「ウチの猫は口をきく」という話はよく聞きますが、だいたいが飼い主にだけ聞こえる言葉で、思い込みでしょうと笑われることが多いものですね。猫が口をきくはずがないという通念が、世の中にはあるようです。  でもわたしは、どうも猫は口をきこうとしているな、と感じるのです。口をきこうとしているけれど、構造上、上手に発音できないだけなのではと思うのです。というのは、ウチで猫が口をきいたのは、ナノが初めてではないからです。  それは、猫のサキイカバズーカ(まだたべvol.012参照)で紹介した猫、テンテンの話です。  娘が小学校高学年になる頃まで、テンテンはいつも大きな声で 「ぱいーん! ぱいーん!」  と鳴いていました。  それは可愛らしくも騒がしい、変な鳴き方でした。ある時わたしは娘と2人、居間でくつろぎながらテンテンの鳴き方のマネをして遊んでいました。 「ぱいーん!って鳴くよね」 「ね。ぱいーん! ぱいーん!…あれ、どこかで聞いたことあるな」 「ぱいーん? ぱいーーん…。ねえ、これって、もしかして」 「まさか!」 「でも、そっくりだよね」 「ていうか、同じだよね!」  我が家は築70年は経過しているボロ家ですが、一応二階建てです。そしてその頃は、二階の寝室(というか寝場所)で眠る、寝起きの悪い娘を起こすのに、階下からわたしが名前を大声で呼ぶのが、毎朝の恒例になっていました。 「○◯ー◯!」

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新井由木子【まだたべ】vol.025 嘘の家系の巻 | www.deliciousweb.jp

楽しい嘘ってクセになるんでしょうか。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  わたしの父は嘘の名人でした。特にわたしが幼い頃には、わたしたちを面白がらせるためか、しょっちゅう嘘をついていました。  あまりに硬いう○こをしたら自分のほうが持ち上がったとか、がんばれば耳からも息はできるとか。聞いた時は瞬間的に「嘘だ!」と思うのですが、大人の言うことだし、真面目な顔をして言っているし、もしかしたら本当かもしれないという疑いが、子どもにはぬぐいきれないものなのです。  自分が持ち上がった話などは試しようがないですし、試してみたいとも思わないのですが、耳から息ができるというのは気になりました。当時小学生だったわたしですが、検証しようと随分がんばった覚えがあります。実は今でも少し、もしかしたらできるかもしれないなどと思っています。耳抜きの要領で鼻をつまんで顔に圧力をかけると、耳がプンと膨らみますものね。耳まで空気が通っているのは確実です。くしゃみをしたら耳から空気が出たとか、溺れたけど耳が出ていたので助かった、などの経験がある方がいらっしゃったら、ご一報ください。  そんな父は小学校の教師、しかも理科の先生でした。「糸を水に浸けておくとミミズになる」と言う父の言葉を信じた生徒のお母さんから「ウチの子が洗面器に浸けた糸を毎日毎日見ていて可哀想だ」と、言われたこともありました。  しかしそんな父の嘘が、わたしは好きでした。嘘は奇想天外だったりスリルがあったりして、物語の中に入ってしまったような楽しさがありました。  そしてわたしも、幼い娘を楽しませるべく、けっこう嘘をついたものです。  まず、母であるわたしは念力が使えるという嘘。散歩の途中で信号がある度にやってみせるその技は、信号を青に変える念力です。横目で別方向の信号の点滅を確認しながら声を出すので、いつでも信号はわたしの掛け声ぴったりに青に変わります。まだ3歳にならない小さな娘は尊敬と憧れのまなざしで、わたしを見上げていました。  けれどこのように素直に信じるときもあれば、一工夫が必要な時もあります。

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新井由木子【まだたべ】vol.024 タイムマシーンの巻 | www.deliciousweb.jp

真冬の早朝、人知れず戦う人の胸のうち。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  わたしがおむすびとおみそしるを作りに行っているsoso cafeは、オープンしてから初めての冬を迎えています。  朝焼けの中、自転車を走らせていた出勤も、冬の間は同じ時間でもあたりは真っ暗。朝ではなくて確実に夜の様相です。  そんなほぼ人気のない真っ暗な街道の二つの地点で、毎朝必ず同じ人物と交差します。1人目は杖をついているのに、すごいスピードで移動するおじいさん。2人目はわたしと同じように、暗闇にライトを光らせながら自転車を飛ばすパーマヘアのおばさんです。  早朝の出勤には、寸分の狂いもない時間配分が必要です。目覚ましが鳴り布団の中でモゾモゾする時間は0分。飛び起きて2分後には顔を洗っています。水道水が温まるまでは待てないので、もちろん冷水です。そして寒いと感じる自分に気がつかないふりをして寝間着を脱ぎ捨て、冷えた下着と衣服を装着。そのまま足早に物干場へ行き、前日に洗濯した割烹着を取り込んで、カバンに詰める。すると、出発2分前のアラームが鳴るので、1分間だけソファでボーっとしてから靴を履き始め、定時のアラームが鳴ると同時に出発。この間わずか15分です。  きっと毎朝すれ違うお二人も、布団から玄関まで分刻みの行動をしているのでしょう。まるで時計の長針と短針が常に同じ場所でクロスするような、正確な毎朝のすれ違い。彼らのシルエットしか見えませんが、親近感の湧く一瞬です。  soso cafeに着くと店内はすっかり冷え切っていて、まるで冷蔵庫のよう。朝一番に始めるのは、なにを置いても炊き上がりまで時間のかかる玄米の準備。次にお出汁の世話をしながら白米を研いでガス釜にセットし、おみそしるの具を作ります。  ご飯が炊きあがる頃にパート仲間のレイコちゃんが来て、ホカホカのまん丸いおむすびを次々と作ります。日本橋の佃煮屋さんから取り寄せた甘い昆布味、梅干し屋さんの梅と鹿児島県・枕崎の鰹節を混ぜて寝かせ、まろやかな味を出した梅味、手作りの甘いおかか味などの定番のほか、季節の野菜のおむすびがあります。

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新井由木子【まだたべ】vol.023 猫からの電話かもしれないの巻 | www.deliciousweb.jp

同じような経験をした方、いらっしゃいますか? “まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  もうすぐ節分ですね。  節分のすぐ後には、わたしの誕生日がやってきます。  小さな頃は嬉しさと恐怖の入り混じった誕生日(まだたべ0019参照)は特別な日でしたが、近年、年齢のせいかめっきり自分の誕生日に興味がなくなりました。ふと考えても自分の歳がすぐにわからないくらいです。先日ちゃんと数えてみたら、もう半世紀生きていて驚きました。  節分には年齢の数だけ豆を食べますね。  まだ年齢が一けたの頃は、あと数日節分が遅かったらもう1コ食べられたのになあ、なんて思ってましたが、今はもう食べきれない数です。あと10年20年経ったら、もっと大変です。  成長の早い麻の若木を毎日飛び越えていると、やがて大木も飛び越せるようになるというのは、どこかで聞いた忍者の修行の話です。節分の風習はそれと同じように、年齢を増すごとに固い炒り豆をたくさん食べても大丈夫なくらい、元気な年寄りになるべく、編み出されたという側面もあるのではないでしょうか。  誕生日といえばちょっと不思議な話があります。あれは、わたしが結婚生活にサヨナラし、新たな暮らしの基盤を築くべく娘を式根島の両親に預けて、単身本州のとある会社で働いていた30代前半のあるバースデーのことでした。  その日、わたしは会社の倉庫で作業を行っていました。呉服まわりのものを扱うその会社の倉庫では、年配のおじさんおばさんが合わせて10人程、和気あいあいと働いていました。その日の急ぎの任務である呉服店のちらしを封筒に入れる作業も、年季が入っていてスピーディー。合いの手も『あがったよ!』『ハイヨッ』『◯ちゃん次持ってきて!』『残りの仕事量を見るとやる気がなくなるから手元だけを見ろ!』などと、コミュニケーションもスムーズに、終始明るい空気です。昼休みには、とうとう老眼鏡を遠近両用にしたとか、入れ歯を飼い猫が引きずっていって無くなったとか、シニアな話題で盛り上がっていました。

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新井由木子【まだたべ】vol.022 かんなんぼうしの巻 | www.deliciousweb.jp

悲しい伝説にまつわる不思議な出来事。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  冷たい風の強い日です。こういう日はわたしの故郷、式根島の冬を思い出します。ビュウビュウと強い海風が常緑の椿や椎の木を揺すり、『ウサギが飛ぶ』と島の人が言い表わす白波が点々と、深い紺色の海の上に現れます。  式根島を含む伊豆諸島では、旧暦1月24日を『海難法師(かんなんぼうし)』の日と呼んで忌み日にしています。それは恐ろしくも暗い伝説によるものです。  昔、厳しい年貢の取り立てに来た悪い代官の船を島民たちが浸水させて溺れさせると、代官の体がバラバラになって各島に流れ着いた。これが『かんなんぼうし』だというのが、わたしが幼いころから聞き覚えていた伝説です。少し調べてみると、わたしの勘違いなのか、口伝するうちに変わったのか、怨霊は沈められた代官ではなく、沈めた側の島民でもあるらしいことがわかりました。  それが大島ではしっかりとした伝説として残っていて、代官を沈めた島民たちを『日忌様(ひいみさま)』と呼び祀(まつ)っているようです。伊豆諸島各島での違い、時代ごとの変化も調べなければ責任のあることは言えないので、引き続き調べたいと思います。  さて、この怨霊が訪れるといわれる旧暦1月24日・25日の2日間を、式根島ではそれぞれ『親だまり』と『子だまり』と言い、厄を払うとされる匂いの強いトベラという木の枝を門戸に刺し、夜に外に出ることは禁じられていました。昔は家の外にあったお手洗いにも行かれませんから、この日は水物を避け、お餅を食べて備えたそうです。毎年とても怖くて、声をひそめて過ごした2日間だったのを覚えています。  そして、この日には必ずと言ってよいほど海が凪ぎました。島の2月といえば海は荒れる日が多いなかで、毎年それは不思議なことなのでした。  ある年の『かんなんぼうし』の日については奇妙な記憶があります。  それは中学生だった頃のこと。わたしは学校の窓からぼんやりと外を眺めていました。  式根島中学校の北側の窓からは海が一望でき、本州方面に新島・利島・大島が見えます。一番近い新島は白い岩肌も緑の山も海岸の桟橋までもが鮮やかに見え、遠い利島や大島は水平線上に青い影となって重なりあっています。

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新井由木子【まだたべ】vol.021 ecoma coffeeの巻 | www.deliciousweb.jp

街の色をさりげなく変えてくれた小さなカフェとは。“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がないイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  わたしの自宅とわたしの小さな書店ペレカスブックを結ぶ街道上に「ecoma coffee」はあります。  朝の時間を楽しむ常連さんや、お昼ごろにフラリと訪れた様子のお友だち同士。散歩の途中で休まれるおじいさん、おばあさん。ご家族からおひとり様、ワンコを連れた方はポカポカと陽のあたる表の席で。紺色のシェードと白い壁が美しい小さなお店には、見かけるといつも人がいます。  ecoma coffeeを営むのは、新婚ホヤホヤのミホちゃんとジュンペイくんという若夫婦です。自宅の近所なこともあって、わたしは1日に何度もecoma coffeeの前を自転車で通過するのですが、その度にこのecomaの夫婦が「あらいさーーーん!」と呼びかけてくるのです。  横目で確認すると、ecoma coffeeの四角い窓にミホちゃんかジュンペイくん、まれに2人で窓枠にギュッと詰まって、ニコニコ手を振っているのが見えますが、返事をする余裕もないままに、その光景は一瞬にして後ろに流れ去っていきます。  だいたいecomaの夫婦が「あらいさーーん!」の『あ』を言う時にはecomaの店の真ん前でも、『らい』の時には隣の隣の郵便局を通過中です。そんなにスピードを出していない運転ですが、『さーーん!』という声はすでに背中で聞いているわたし。この後には「いってらっしゃーい!」が続くと思われますが、もうわたしは街道の彼方に豆粒のように小さくなって見えていることでしょう。  そしてわたしはいつもその明るい声に驚いて、自転車のハンドルが揺らぎます。自転車を一生懸命漕いでいる時に、年齢的に反射神経も鈍ってきているわたしへ、いきなり声をかけたら危ない。毎朝なのに慣れないのは、順応する能力も衰えてきているのでしょうか。  先日直々に、安全運転のためにペレカスへの声かけは心の中だけにして欲しい旨をお伝えしました。  ともあれ、毎朝このお店の前を通るのはとても嬉しい。声かけをお互いに心の中にしてからは落ち着いて、ecomaのことを考える一瞬になっています。

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新井由木子【まだたべ】vol.020 自己肯定の女の巻 | www.deliciousweb.jp

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  わたしの営む小さな書店ペレカスブックは、せんべいで有名な街の宿場町通りにある「カフェコンバーション」の中にあります。最寄り駅は、上野から電車で約20分、半蔵門線なら直通スカイツリーラインの草加駅です。  カフェコンバーションはぶ厚い『ほっとけーき』と濃くて苦い珈琲『おりじなるブレンド』にファンが多く、皆さんに愛されてもう14年も営業を続けています。 「おしゃれなカフェ」などと言われていますが、都会的な小綺麗さではなく、優雅にめかしこんだ店構えでもありません。古いものをかっこよく見せている、という言い方が一番しっくりきます。  それも古くて良いものというよりは、壊れた農機具の部品とか、廃校の壁から剥がしてきた巨大な時計とか、値段のつかないというよりは値段が無いものたちをステキに見せる。板がずれて釘の飛び出たリンゴ箱も、おしゃれだと言われて、さぞびっくりしていることでしょう。  建物自体もゆうに築50年は経過している古い倉庫を、コンバーション店主(以下コンバーション)が自分で改装したものです。  古い木材の暗い茶色、所々に錆が出た赤っぽい茶色、昔のレトロな柄付きガラスの窓に、コンバーションが自分で塗った漆喰壁の柔らかい白が美しく映えます。そして、コンバーションが自ら貼り付けたタイルのテーブルに、全て違う形の椅子やソファが置かれていて、それらがゴチャゴチャすることなく不思議とすっきり落ち着いて、一つの空間を作り上げています。  そもそもコンバーションは、カフェをやる前は塗装屋さんだったそうです。  というかカフェ開業の資金を塗装業で稼いだそうで、丁度カフェを出て見上げると空高くそびえている赤白の鉄塔はコンバーションが昔塗ったものだそうな。塗装業の前は陶芸の勉強をしていたそうな、その前は宝石を売っていたそうな、その合間にサーフィンをしていたそうな、建築の学校を出ているそうな、洋服を売っていたそうな……。

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新井由木子【まだたべ】vol.019 勘違いの世界の巻 | www.deliciousweb.jp

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。 「今年も終わるね」  わたしの娘は幼いころ、この言葉を聞いて12月31日でこの世は終わるのだと思っていたそうです。 「怖くなかった?」 「みんなが平気そうにしてるから、そういうものかと思ってた」  ものすごく怖いことも、みんなが平気そうにしていると自分だけ怖がってはイケナイような気になるのです。わかります。なぜならわたしも昔、人は誕生日に死ぬ、と思っていたからです。  そう思い込んでいた原因は、クリスマスはキリスト様のお誕生日なのに、クリスマスの日にテレビに流れる映像を見ると、苦しそうに十字架にかかっておられたから。クリスチャンの家庭であればすぐに誤解も解けたかもしれませんが、うちは仏教徒。誕生日という情報と十字架上の姿がゴッチャになり、幼いわたしのなかで、勘違いが生まれたのです。  そんなわたしの幼き時代の誕生日は、嬉しさと恐怖という2種類の胸の高鳴りが同時に押し寄せる、非常にスリリングなものでした。母がこしらえてくれたご馳走も、もしかしたらこれが最後かと思うと夢のように輝いて切なく見えました。夜は布団の中でサヨナラの涙が流れ、翌朝いつものように目が覚めると『今年も乗り切ったんだ!』と、達成感がありました。そしてお年寄りは、ものすごい回数の誕生日を乗り切ってきて、すごいなあと思っていました。  わたしはそういう“勘違い”が好きです。勘違いの向こうには別世界があるからです。  例えばエレベーターを呼ぶ時に押す上下ボタンは自分の行きたい方向を指示するのではなく、そのボタンでエレベーターの箱を直接動かしているのだと、わたしは結構長い間、思っていました。

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新井由木子【まだたべ】vol.018 島のクリスマスとおばさんの絶叫の巻 | www.deliciousweb.jp

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  わたしは昭和40年代の生まれです。幼少時の写真は全てセピア色。十年ひと昔と言いますが、ひと昔が5つも重なって、子ども時代は遠い昔になりました。  その頃暮らしていた式根島は離島特有の条件下で、当時の世の中より更に少し古い時間を刻んでいました。  水は雨水をろ過して飲んでいましたし、停電も多かったし、道も舗装されていませんでした。  物資は船で本州から運んでくるのですが、島の港も今ほど整備されてはいなかったので、少し風が吹くとたちまち欠航。物資を積んだ大型船は、港の少し沖合で着岸できるかしばし迷う様子を見せた後「やっぱ無理、ごめんね」という感じで去って行く。特に海風が強くなる冬には、欠航ばっかりでした。  当然、食品に関しては運ばれてくるものは賞味期限の長いものばかり。生乳などもっての外ですから、給食には牛乳ではなく保存性がよく栄養価の高い脱脂粉乳が出されていました。  粉になった牛乳にお湯を注いで出来上がる脱脂粉乳のミルクは、大きなポットにたっぷり入って熱々で教室にやってきます。ポットからそれぞれのアルミのお椀に注ぐと、白い乳から甘い匂いが立ち上ります。  美味しそうに書きましたが、わたしはこれがとても苦手でした。クラスメイトはみんな「おいしいおいしい」と言っていましたが、脱脂粉乳を飲ませたい先生の言葉を、みんな信じ込んで脳から騙されているのだと思っていました(洗脳という言葉はまだ知りませんでした)。思ってはいましたが、みんなが好きなコレを、わたしだけ嫌いだとは言い出せずにいました。

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新井由木子【まだたべ】vol.017 湯けむり二つ目の頭事件の巻 | www.deliciousweb.jp

何十年と生きていたって、世の中にはまだ食べたことのないものが溢れています。隣の家では毎日のように食卓に並んでいるのに、我が家では見たことも聞いたこともない、なんていう食べものもあるかもしれません。この連載では、そんな“まだ食べたことのないもの”が気になって仕方がない、というイラストレーター・新井由木子さんが、食べるモノや関わるヒトと奮闘する日々を綴ります。  銭湯って楽しい。  今は昔ながらの銭湯よりスーパー銭湯が主流になりましたね。わたしの住んでいる草加にもいくつかスーパー銭湯がありますが、かつてその中のひとつによく娘を連れて行っていました。  そこはウチから自転車で行けば身体もポカポカと温かいまま帰って来られるくらい近い、『松湯』の愛称で地元民に愛される獨協大学前駅近くの『スーパー銭湯・湯屋処まつばら』。ほぼ銭湯のようなお値段で入れるのに、ジェットバスもサウナも露天風呂もついています。わたしと幼かった娘のつつましい暮らしの、大切なうれしい場所でした。  浴場に入る前には入口から広がる食堂兼休憩室で、娘に牛乳を飲ませました。普段は飲みたがらない牛乳も、番号を選ぶとアームが伸びてきて瓶を掴むタイプの自販機の楽しさと、むあっとした銭湯の暖かい空気が冷たい牛乳を美味しくさせるのか、娘は喜んで飲んでいました。  地域の銭湯なので、知り合いにバッタリ会ってしまうことも、よくあります。それは主に娘の保育園で顔見知りのママさんたち。女湯の中は全員裸が当たり前といえども、生まれたままの姿で挨拶するのは、知り合いなのでかえって少し恥ずかしい。そして、恥ずかしい、と言うこと自体も、なんだか照れてしまうのです。  なので、さりげなーく恥ずかしいところを隠しながら挨拶をします。  右の掌で左腕の二の腕を掴み、胸を一気に隠して笑顔。あるいは体の正面を全体的に後ろに回して、首をひねって挨拶します。そして下のほうはといえば割と平気です。なんとなくですが、下よりも胸のてっぺんのほうが恥ずかしい。  湯船に沈んでジワーッと心地よくなっていると自然と心の垣根が低くなり、隣で同じようにジワーッとしている人と言葉を交わすこともあります。

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